きのうと私の物語

昨日の私の一日を物語に

とんねるずデイズ

サブスク解禁に大喜びしています。

とんねるずの楽曲。

 

 三十年くらい前の話ですが

 

当時、聴きたい音楽がある場合はレンタルビデオ店へ行き、アルバムかシングルのCDをレンタル。店内に置いてあるカセットテープを、借りるCDの時間に合わせて買ったり。。

歌詞カードを眺めながら、CDラジカセでダビング。

「流しながらリアルタイムで録音」というのか、一度通して聴く必要があります。

ここまでが片面と計算したら、再生を一時とめ、テープの裏返しも必要です。

ここで見計らいを誤ると全部入らなかったり片面に長すぎる余白が生まれたりしてそのテープ全体への仕上がり満足度が下がる。 

出来上がったら、ラベルを書きます。A面にはこれとこれとこれ、B面には・・と歌詞カードで曲名を確かめながら。

背ラベルにアルバムのタイトルを書いたら、出来上がり。

 

こんな風にして作ったとんねるずのテープ。数年間

繰り返しきき、MDラジカセに変えたあとはテープからMDへのダビング。

MD化したテープは処分。何も考えずに。格上げされたから用済み、とばかりに。

 

時代は流れとんねるずの作品は次々廃盤になっていきます。

それと並行して、MDが生産終了になっていきます。MD再生が不具合になったラジカセを買い直すことができずに、他のアーティストの作品も、どんどん、再生不能になっていきます。

 

とんねるずロスに陥ってしまったのです。聴きたいけど媒体がない。

他のアーティストの作品も、どんどん、再生不能になっていきます。

 

サブスク解禁。脳内再生でしのいできたあの曲、この曲がもう一度手に入る。

 

「ほのちゃんにはがはえた」という名盤の、

「結婚式に呼んでください」から購入してみました。記憶のままの二人のハーモニー。

 

こんな再会があるなんて。とんねるずデイズにまさかの続きがあったこと、とても嬉しいのです。

  

 

 

一点の曇

お題「最近知った言葉」

 

「フォーカシングイリュージョン」

ここ数日のうちに知った言葉です。

 

イギリスの王子が離脱するニュース関連のとある記事の見出しでした。

[ヘンリー王子の「フォーカシング・イリュージョン」の結末]

とのタイトルでした。

 

一部抜粋させてもらうと、

 

 

【フォーカシング・イリュージョンとは、「○○さえあれば幸せになれる」、「○○があれば成功するはず」と、ある特定の価値や自身が注目する要因を実際以上に過大評価する傾向のことである。ダイアナ元妃の事故死のトラウマもあり、メーガン妃が叩かれ家族がメディアに追いかけまわされる度に、ヘンリー王子のその幻想はより強くなっていったはずだ。】

 

フォーカシングイリュージョン。

焦点を合わせすぎるっていうことかな。

 

一点の曇を見つめて見つめて、足るを忘れる。

わたし、これが自分の最も良くない癖だと思っていて。

「〇〇じゃない」ことが気になって「〇〇はある」ってことをすっかり忘れてしまう。

自分も嫌いで相手も自分のことが嫌いな人に囲まれている時間が続くと、

生きている意味がわからなくなる。

他の場所には好きな人たちがたくさんいて、私に元気で生きていてほしいと思っているのに。その存在をすっかり忘れて目の前のことに苦しんでしまう。

 

だから、こんな人たちいなくなればいいのに、そしたら全部解決するのに、と狭く考える。だけど、その人たちと会わなくていい日が続くと、ほかの不安がすぐに顔を出す。

何の不安もないときの自分は、「どこか体が痛いから病気だ」なんて考え始める。

 

この言葉の意味を知って、

足りない一点を見つめ続けた結果は「幻想」なんだ、って。

 

足るを知るには、なしを忘れて過ごすことができるといいのかな。

目の前の姑を忘れて、遠くの母を思う時間にできたらな。

 

 

 

 

 

 

日曜日の昼食にて

お題「どうしても言いたい!」

 

トッピングで売上をあげようとしているのが露骨すぎるラーメン屋に出会った。

ラーメンは1種類だけで、メニュー表のほとんどが「トッピングランキング」

20位まであった。1位は不動らしい、チーズだった。

 

なーんとなく、反発心がむくむくと起こり

トッピングなしで注文した。

「何も乗せなくていいんですか?」

三回確認された。

 

ノーマルなラーメン、とてもおいしかった。

トッピング頼りにするのはもったいないな、と思った次第です。

ネギやトリチャーシュー、バジルなんかはちゃんと乗ってたしね。

 

そのままのラーメン、じゅうぶんイケてますよ。

と、言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苦手な常套句

お題「これって私だけ?」

 

「〇〇〇〇は~」

とくると身構えてしまう。

苦手な常套句がいくつかある。

 

一番苦手なのは、

 グルメ番組の

「果たしてそのお味は」

何を丁寧に言いたいのかよくわからない。

 

味、じゃだめなんですか。

 

 

 

 

好きなビールはあるがビールなら好きだ

お題「好きなビール」

年間500本ほど缶ビールを飲み、外飲みも100回近くはしますが、

ビールを飲むタイミング、素晴らしいビール時間を楽しむために必要なのは、

「風呂に入ったあと」

これが自分にとって最高の条件です。

 

たとえば、一日働く。そのまま、夜の街へ。

かんぱーーい!!今日もおつかれさーーん。

やっぱり仕事終わりのビール最高だねー!!

なんて、盛り上がりたいところではありますが

「化粧落としてないし服のままだし体温めてないから落ち着かない」

が本音で、まだ風呂に入っていない、ということが気になって気になって仕方ない。

これから帰宅して入浴、という仕事が残っているという事実も重いです。

 

一度帰宅し、入浴し、再度身支度をして出かける。

そのための時間を作れることもわりとある勤務・居住環境なのでできるだけそっちに持っていくようにします。

 

「すでに体を一度温めた」

「帰宅したら洗顔だけでいい」

それともうひとつ。

真冬なら、「腹にカイロを貼る」

 

これでビールを、いくらでも飲めます。

最近は、洋食系の店で出てくることが多い(と感じている)

ハートランドの生ビールがお気に入りです。とにかく飲みやすい。

 

ビールは最初の一杯でいい、という言葉を人生で使ったことがありません。

シメのラーメン屋さんまで、ずっとビールだけを飲み続けます。

 

 

 

 

 

 

 

てつびん

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お題「愛用しているもの」

 

結婚を間近に控えていたある年の冬だった。

母とデパートの物産展チラシを見ていると「南部鉄器」の特集をしていた。

九州在住の私には、その東北地方の名産物は聞いたことのないものだったが

美しい写真とともに丁寧に書かれた案内文を読んでいるうちに心ひかれてしまった。

 

母はデパートでその南部鉄器の鉄瓶を買ってきた。

自分たち両親からの餞別だと言った。父も笑っていた。

私は隣県の相手と結婚するために引っ越し、故郷を離れねばならなかった。

最後の日々を地元で両親と、しみじみ過ごしていた終わりのころだった。

出発まであと数日あるので、

「使って育てる」のはこの家からにしようと台所で開封した。

 

ほとんど満水になるまで水を入れてきちんと蓋をしコンロにかけた。

どうなるかも知らずに、待った。見た目は何も変わらないままだったが湯が沸くと

 ジーと静かに、しかし迫力満点に。注ぎ口から熱湯が溢れる。

何が起こったのかわからず溢れる湯を眺めるしかできないでいると、

洗濯場から戻った母があーあーあーとうなずいた。

水を入れるのは7割ほど、蓋はななめにずらして置く、

沸いたら濡れふきんでつかむと滑りにくい、と教えてくれた。

なんとか処理し、湯を捨て、もう一度水を入れ、鉄風味のなくなるまで同じことを繰り返す。二度目はうまくいった。そして私と鉄瓶の生活が始まった。

 

迎えに来た夫の車に「いそぐ荷物」を積み込むとき真っ先にいれた。

 

あれから五年。

どんな朝も棚から鉄瓶を取り出して水を入れることから始まる。

沸いたら保温ポットに移してお茶やコーヒーをいれる。

空になった鉄瓶の蓋をあけ、勢いよく中が乾いていくところを見ているのが好きだ。

しっかり乾燥したのを見届けてからその場を離れたい。

両親の名から一文字ずつ取って、「早介(さすけ)」と名付けた。

早介と一緒に、まろやかな味を出せる人生を作っていきたい。