てつびん
結婚を間近に控えていたある年の冬だった。
母とデパートの物産展チラシを見ていると「南部鉄器」の特集をしていた。
九州在住の私には、その東北地方の名産物は聞いたことのないものだったが
美しい写真とともに丁寧に書かれた案内文を読んでいるうちに心ひかれてしまった。
母はデパートでその南部鉄器の鉄瓶を買ってきた。
自分たち両親からの餞別だと言った。父も笑っていた。
私は隣県の相手と結婚するために引っ越し、故郷を離れねばならなかった。
最後の日々を地元で両親と、しみじみ過ごしていた終わりのころだった。
出発まであと数日あるので、
「使って育てる」のはこの家からにしようと台所で開封した。
ほとんど満水になるまで水を入れてきちんと蓋をしコンロにかけた。
どうなるかも知らずに、待った。見た目は何も変わらないままだったが湯が沸くと
ジーと静かに、しかし迫力満点に。注ぎ口から熱湯が溢れる。
何が起こったのかわからず溢れる湯を眺めるしかできないでいると、
洗濯場から戻った母があーあーあーとうなずいた。
水を入れるのは7割ほど、蓋はななめにずらして置く、
沸いたら濡れふきんでつかむと滑りにくい、と教えてくれた。
なんとか処理し、湯を捨て、もう一度水を入れ、鉄風味のなくなるまで同じことを繰り返す。二度目はうまくいった。そして私と鉄瓶の生活が始まった。
迎えに来た夫の車に「いそぐ荷物」を積み込むとき真っ先にいれた。
あれから五年。
どんな朝も棚から鉄瓶を取り出して水を入れることから始まる。
沸いたら保温ポットに移してお茶やコーヒーをいれる。
空になった鉄瓶の蓋をあけ、勢いよく中が乾いていくところを見ているのが好きだ。
しっかり乾燥したのを見届けてからその場を離れたい。
両親の名から一文字ずつ取って、「早介(さすけ)」と名付けた。
早介と一緒に、まろやかな味を出せる人生を作っていきたい。